|
|
|||||||||||
![]() |
|||||
まちなかにある野菜畑 櫛原バイパス通りから少し入ると畑が広がり、キャベツやブロッコリーがいきいきと育っています。畑には牛ふん堆肥を投入して土づくり。自分たちも食べるものだから、農薬もほとんど使いません。 渕上さん夫妻は、米、キャベツ、ホウレンソウ、タマネギを中心に、季節の野菜を作付け。弘義さんは「立派にできたときはうれしい」、ヨシエさんは「日々成長しているのを見るのが楽しい」と、毎日の野菜作りに精を出し、JA農産物直売所「くしはらの里」や久留米中央卸売市場へ出荷します。 農家を継ぐ運命だった? 弘義さんは男ばかり5人兄弟の専業農家の長男として生まれ、中学校から経理専門学校へ進み、卒業後に就農しました。ヨシエさんは22歳のとき、国分町の農家から嫁いできました。両親と夫婦で、最も多いときは全部で2ha、米麦、キャベツやタカナなどの野菜を生産してきました。 東櫛原地域農業の変遷 弘義さんが就農した昭和20年代後半は、田起こしやマガ引きは馬に頼り、農作業は手作業。農繁期は20人くらいで親戚宅を順に回る“手間替え”で作業を行いました。 道路ができ、宅地化が進み、田畑は減り、東櫛原の農業は様変わりしました。 現在、管内の組合員は73人。農家とはいえ、収入は賃貸住宅や駐車場経営などが多くなりました。後継者はほとんどが勤めており、農業従事者は高齢化しています。米を生産しているのは15軒ほど、特産の「櫛原レンコン」の生産者も、弘義さん1人になりました。 組合員とJAの橋渡し役として 弘義さんはJA青年部東櫛原支部支部長、東櫛原農事組合長会長や久留米市農業委員、東櫛原土地改良区理事などの役職を経て、平成9年から東櫛原支所選出の理事になりました。国道3号線の拡幅による支所移転、支所機能再構築など、地元組合員とJAのパイプ役として務め、現在4期目です。 農業者としての人生 「直売所へ出荷するときには、何をまいた、薬は何を使った、など、皆さんとお話に花が咲きます」と、ヨシエさんは交流も楽しんでいます。弘義さんは「友人たちは皆勤め人のホワイトカラー。若いころは、農業者ということに抵抗がありました。定年もなく、自分の楽しみ、体作りができる農業者でよかったと、今では思っています」と、これまでを振り返ります。みんなの努力があって今日があることを忘れず、農業を愛する仲間たちとともに、農業を楽しみながら生きていきます。 |
|||||
|
|||||